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1573年(天正元年)、本多十助(法名:義圓)が七山の地に浄仙坊を開創。医療法人
「爽神堂」の歴史は、ここからはじまります。 -
浄仙坊は織田信長によって焼き払われてしま
いますが、義圓の子・本多左内(法名:義風)が寺号を浄見寺として再興。関ヶ原の合戦の
前年、境内に医療施設「爽神堂」を創設しま
した。 -
爽神堂は、江戸時代には入院施設を備え、
漢方薬や鍼灸を用いて精神障がい者の治療
を行っていました。そして明治維新に際し、
西洋医学を率先して導入、我が国最初の精神科専門の病院免許を取得しました。 -
本多栄(法名:義端)が22歳の若さで西洋法内科医術を開業し、本多病院(後に七山病院と改称)を開設。近代医学と浄見寺伝来の秘伝の漢方医術、両方のいいところを活かした治療が評判となりました。
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軽症患者を開放病棟で治療するという理想の病院づくりを目指して、浄見寺の裏山1050坪の敷地に洋館2階建ての本館と病舎2棟を持つ「養生園」を建設。開放治療が一般化する50年以上も前のことでした。
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戦後、病院の近代化を推進し、積極的に施設を整備。またこれまでの個人経営を改めて法人化しました。2001年には創業四百年記念事業として新本館が完成、2011年には新たに北館が完成しました。
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